私のアジア交流は、1981年に参加した「日中友好九州青年の船」から始まった。それは私にとって記念すべき生まれて始めての海外への旅だった。それまで海外へ行きたい、行きたいと切望しての海外だったのでものすごく感動した。初めて上海の地を自分の足で踏んだ時のことは今も忘れられない。自分でもよく分からない震えのような興奮が3日間ほど続いたのを覚えている。生まれて始めて知るカルチャーショックに違いなかった。その時に、それまでの人生で望みが安易に叶わなかったことに感謝した。恋焦がれて得たことほど感動することはないものだ。と芯から思った。その次が1985年の韓国行きだった。ソウルと忠清南道(ちゅうせいなんどう)に行った。これが切っ掛けとなって1986年から「日韓友好熊本少年の船」事業を始めた。その他関連事業を含めて30回ほど韓国を訪問した。その後1990年の地球市民の会のスタディツアーから始まり東南アジアのタイ王国へ通うようになり、1993年からはコミネット協会の「日タイ協力プロジェクト」で毎年タイ王国に出掛けて行った。アジアから多くのことを学んだ。とりわけタイの親友であり偉大なるタイの自然と文化のインタープリターであったジャナロン・メキンタラクラ氏(2003年逝去。享年51歳。)からは、タイのことは勿論、国際交流・国際協力のこと、人生について等などと実に多くのことを学んだ。一方で、1995年から長い間の念願であったヨーロッパへ通い始めた。イギリス、デンマーク、ドイツ、スウェーデン、スイスへと足を運んだ。目的はヨーロッパの環境保全の実態を観ること。進んだ環境教育を学ぶことであった。ヨーロッパのとりわけ西ヨーロッパは、20世紀後半から多くの環境運動を産み出した。例えば、イギリスの「ナショナル・トラスト運動」、「グランドワーク運動」、ドイツの「ビオトープ」、北欧の「グリーン・ツーリズム」、フ
ランスの「エコ・ミュージアム」、デンマークの「フォルケフォイスコーレ」、スイスの「ツーリズム」、イタリアの「スローフード運動」等などと枚挙に遑が無いほどだ。そして、ヨーロッパは「京都議定書」発効によるCO2削減にも最も真剣である。何故それほどまでにヨーロッパが環境保全に一生懸命なのだろう!?よくよく調べて行くとヨーロッパ地域は、16?17世紀頃までうっそうとしたヨーロッパぶなや楢の木の森がたくさんあったそうだ。それがその後の開発や繰り返された戦争によってことごとく破壊し尽されて行ったのである。そのことに歴史的に民族的に気が付くのは第二次世界大戦終了後の20世紀の後半なのである。ヨーロッパ民族は、300年もかけて森を失くす=自然破壊をしたという愚かな行為に気が付き、それから徹底した"自然の復元、環境復元"運動に向かうのである。だからヨーロッパの自然保護の英訳は、自然の復元を指すNature Restoration」である。ちなみに自然保護の英訳には4つある。前述の他、「Nature Protection=本来の自然保護の意」、「Nature Preservation=貴重な自然の保存の意」、「Nature Conservation=総合的な環境保全としての自然保護の意」である。更に関連して、豊かな自然の条件には、5つあると言われている。それは、?澄んだ空気 ?清冽な水 ?よく肥えた土 ?混成する緑 ?多様なる生物 である。つまり豊かなる森こそが豊かなる自然であり、豊かな自然と共に人間が共生して行くことこそが何よりも人が求めて行くべき豊かな生き方なのである。とあらためて気付いたのである。これらのことに民族的に歴史的に気が付いたヨーロッパの人々は今まさにエコロジー(環境保全)とエコノミー(経済振興)が両立する地域づくりを志向し実践しているのである。このような地域づくりのことを私は"環境地域づくり"と呼んでいる。一方、アジア地域からもまた森が消失している。例えばタイの国は、1960年当時、国土面積の約60%あった森が2000年時点で約25%
になり、現在はもう既に17%以下という状況に陥っている。無論原因はいろいろだが決定的なことは経済の急成長である。端的に云えば、経済的な豊かさと引き換えに森を売って来たと言える。長い目で観ると森の消失・破壊=自然の消失・破壊は国の荒廃を招くのである。そのことはヨーロッパが歴史的に証明して見せているではないか。今や日本の財政状況は、1979年にサッチャー首相が登場した当時のイギリスの状況に酷似している。その後のイギリスの改革と変遷にも学びつつ、私たちの国、日本ももう"環境地域づくり"を目指すことは不可欠なのである。